ビジコン社は、従来の常識からは考えられないできそこないLSIの開発を、当時はまだほんの小さかった半導体メーカー、インテル社に依頼した

できそこないLSIの開発を担当していたビジコン社のスタッフ四名は、基本的な構想を固めてアメリカに渡り、インテル側の担当者と設計図の作成に着手した。

スタンフォード大学のコンピューター研究所で働いたのち、一九六八年のインテル創立とほぼ同時に同社に移っていたマーシャン・E・テッド・ホフは、ビジコンのアイディアをさらにもう一歩推し進めた。  ビジコンではあくまで、電卓用LSIでプログラム可能なもの、言い換えればソフトウエア追加によって異なった機能を持つものを望んでいた。電卓用部品として限定したものでかまわないと考えていた。  それに対しホフは、できそこないの度合いを少し高め、それによって応用範囲をさらに広げることを考えた。電卓にしかならないLSIではなく、電卓にもなるLSIを目指したのである。作業途中から担当をはずれたホフに代わってこのアイディアを設計図にまとめ上げたのは、ビジコン社の嶋正利とインテル社のフェデェリコ・ファジンだった。  世界初のマイクロコンピューター、インテル社のi4004(四ビット)は、望まれた力よりもはるかに大きな可能性を秘めて誕生した。その後、嶋正利はインテル社に引き抜かれて、八ビットの代表的なマイクロコンピューター、i8080をファジンとのコンビで開発。さらにのちには、ファジンとともにインテルを去り、ザイログ社を創設して同じく八ビットの代表格となったZ80を開発している。

歯科 経営 隠すことは口より出すな

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