僕等の方は十二、三の子が

 僕等の方は十二、三の子が十人ほどいた。士官の子は僕一人で、あとはみな土地の子だった。そして僕は十で一番年下だった。町の方は二十人くらいから三十人くらいまでいた。年はやはり十二、三が多いのだが、十四、五のも三、四人まじっていた。
 戦争は大がい片田町から町の方の仲町というのに通ずる竹町で行われた。いつも向うから押しよせて来るので、僕等はそれを竹町の入口で防いだのだった。竹町というのは、わりに道はばも広く、それに両側に家がごくまばらだったので、暗黙の間にそこを戦場ときめてしまったのだ。
 僕は家の竹藪から手頃の竹を切ってみんなに渡した。手ぶらで来た敵は、それでもう第一戦で負けてしまった。
 次には彼等もやはり竹竿を持って来た。しかしそれは、多くは、長い間物ほしに使ったのや、あるいはどこかの古い垣根から引っこぬいて来たのだった。接戦がはじまって、両方でパチパチ叩き合っているうちに、彼等の竹竿はみなめちゃくちゃに折れてしまった。

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