この家の裏に広い竹藪があった。栗だの、柿だの、梨だの、梅だのの、いろんな果物の木もあった。
そしてその竹藪には、孟宗のほかに、細い、その竹の子をおもちゃにしてポンポン吹いて鳴らす竹があった。やはりどうかした拍子に急に会いたくなって、僕は一度、その竹の子を持って光子さんのところへ行ったことがあった。
しかしこの竹藪はそんな優しいことばかりには使われなかった。
新発田は新発田町というのと、新発田本村というのと二つに分れていた。町というのは昔の町人町で、本村というのは侍屋敷のあったところだ。今でもやはりそうだが、その当時もやはり大体そうなっていた。小学校も尋常小学校は別々にあった。そしてこの町と本村では、風俗にも気風にも大ぶ違うところがあった。
町の子が練兵場に遊びに来ると、彼等は障害物も何もできないので僕等はよく彼等をからかったり苛めたりした。そんなことがいろいろと重なって、とうとう町の子と僕等との長い間解けなかった大喧嘩となった。