不安と動揺のうちに一年を送って、あくれば元和元年である。その年の五月には大坂は落城して、いよいよ徳川家一統の世になった。今まで無事でいたのを見ると、或いはこのままに救われるかとも思っていたのは空頼みで、大坂の埒があくと間もなく、五月の下旬に最後の判決が下された。里見の家は領地を奪われて、忠義は伯耆へ流罪を申付けられたのである。
主人の家がほろびて、里見の家来はみな俄浪人となった。そのなかで大滝庄兵衛は夫婦のほかに家族もなく、平生から心がけもよかったので、家には多少の蓄財もある。浪人しても差しあたり困るようなこともないので、僅かの家来どもには暇を出して、庄兵衛は館山の城下を退散した。しかし、彼は自分ひとりというわけにはゆかなかった。彼にはお冬という女が付きまとっていた。庄兵衛もそれを振捨てて行こうとは思わないので、歩行の不自由な女を介抱しながら、ともかくも江戸の方角へ向うことにして、便船をたのんで上総へ渡り、さらに木更津から船路の旅をつづけてつつがなく江戸へはいった。医師国家試験 予備校 第104回医師国家試験 学校別ランキング 新卒編