文壇は書いた人のことはいっても書かなかった人のことはいわないから

そうなるまでにはいかに対手を説服せんとする意志が実践的に鍛練せられることを要したであろうか。

いわば公衆にして見せることを意識したる論争である。論者はそれによって「甲はとうてい乙の敵ではない」というがごとき判断を公衆の頭脳に印象せんことを目的としたるごとき論争である。しこうして結果は、論争者の相互とも一種の敵意に近き怨恨を胸に結んで別れることになる。(この点については、文士のしばしば軽蔑しがちな学者の方がはるかに、公けなもの、真理のために論争する道を知っている)。議論によって相手を説服するということすらほとんど不可能である。まして相手をして会得せしめようとする意志のない論争が無意義なのはいうまでもない。真に相手を説服するは愛と祈りと奉仕とによるほかは無いように思われる。西田天香氏などは英語ならパーシュエイドという言葉で現わすべき概念を、受け身に「相手にまかされる」というふうに表現している。

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