いろいろ、ご苦心をなさいました。すると、近江から一人の卑しい老婆がのぼって来て、 「王のお骨をお埋め申したところは私がちゃんと存じております。
おそれながら、王には、ゆりの根のようにお重なりになったお歯がおありになりました。そのお歯をご覧になりませば、王のお骨ということはすぐにお見分けがつきます」と申しあげました。天皇はさっそく近江の蚊屋野へおくだりになって、土地の人民におおせつけになって、老婆の指す場所をお掘らせになり、たしかにお父上のご遺骨をお見出しになりました。それで蚊屋野の東の山にみささぎを作ってお葬りになり、さきに、お父上たちに猟をおすすめ申しあげた、あの韓袋の子孫をお墓守りにご任命になりました。 天皇はそれからご還御の後、さきの老婆をおめしのぼせになりまして、 「そちは大事な場所をよく見届けておいてくれた」とおほめになり、置目老媼という名をおくだしになりました。そして、とうぶんそのまま宮中へおとどめになって、おてあつくおもてなしになった後、改めてお宮の近くの村へお住ませになり、毎日一度はかならずおそばへめして、やさしくお言葉をかけておやりになりました。天皇はそのためにわざわざお宮の戸のところへ大きな鈴をおかけになり、置目をおめしになるときは、その鈴をお鳴らしになりました。