拳を挙げて丁と打ち猿臂を伸ばして突き飛ばせば、十兵衛堪らず汚塵に塗れ、はいはい、狐に誑まれました御免なされ。
と云いながら悪口雑言聞き捨てに痛さを忍びて逃げ走り、ようやくわが家に帰りつけば、おおお帰りか、遅いのでどういうことかと案じていました、まあ塵埃まぶれになってどうなされました、と払いにかかるを、構うなと一言、気のなさそうな声で打ち消す。その顔を覗き込む女房の真実心配そうなを見て、何か知らず無性に悲しくなってじっと湿みのさしくる眼、自分で自分を叱るように、ええと図らず声を出し、煙草を捻って何気なくもてなすことはもてなすものの言葉もなし。平時に変れる状態を大方それと推察してさて慰むる便もなく、問うてよきやら問わぬがよきやら心にかかる今日の首尾をも、口には出して尋ね得ぬ女房は胸を痛めつつ、その一本は杉箸で辛くも用を足す火箸に挾んで添える消炭の、あわれ甲斐なき火力を頼り土瓶の茶をば温むるところへ、遊びに出たる猪之の戻りて、やあ父様帰って来たな、父様も建てるか坊も建てたぞ、これ見てくれ、とさも勇ましく障子を明けて褒められたさが一杯に罪なくにこりと笑いながら、指さし示す塔の模形。母は襦袢の袖を噛み声も得たてず泣き出せば、十兵衛涙に浮くばかりの円の眼を剥き出し、まじろぎもせでぐいと睨めしが、おおでかしたでかした、よくできた、褒美をやろう、ハッハハハと咽び笑いの声高く屋の棟にまで響かせしが、そのまま頭を天に対わし、ああ、弟とは辛いなあ。