後は母親が手一ツで

 後は母親が手一ツで、細い乳を含めて遣る、幼児が玉のような顔を見ては、世に何等かの大不平あってしかりしがごとき母親が我慢の角も折れたかして、涙で半襟の紫の色の褪せるのも、汗で美しい襦袢の汚れるのも厭わず、意とせず、些々たる内職をして苦労をし抜いて育てたが、六ツ七ツ八ツにもなれば、膳も別にして食べさせたいので、手内職では追着かないから、世話をするものがあって、毎日吾妻橋を越して一製糸場に通っていた。
 留守になると、橋手前には腕白盛の滝太一人、行儀をしつけるものもなし、居まわりが居まわりなんで、鼻緒を切らすと跣足で駆歩行く、袖が切れれば素裸で躍出る。砂を掴む、小砂利を投げる、溝泥を掻廻す、喧嘩はするが誰も味方をするものはない。日が暮れなければ母親は帰らぬから、昼の内は孤児同様。親が居ないと侮って、ちょいと小遣でもある徒は、除物にして苛めるのを、太腹の勝気でものともせず、愚図々々いうと、まわらぬ舌で、自分が仰向いて見るほどの兄哥に向って、べらぼうめ!
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