その声音が思いなしか、異様にひきつったように響いたことを、それから後、幾度となく僕は思い出さねばならなかったのだ。気がついて僕は階段を仰ぐと、あの女の姿は、消えてしまったかのように其処に無かった。僕はその場に崩れるようにへたばった。
其の夜、下宿にかえった僕が、悔恨と魅惑との間に懊悩の一夜をあかしたことは言うまでもない。翌日はたとえ先生との約束でも今日は行くまいと思ったが、午後になると物に憑かれたように立上ると制服に身を固めて、いつの間にやら昨日と同じく、「信濃町」駅のプラットホームに記録板を持って立っていた。その日も怪しい幻の影を、昨日にも増して追ったのであった。時間の果てんとする頃、前の日に見覚えた若い婦人が、階段を上って行くのを認めたが、この日は別に階段の途中に立ちどまることもなしに、唯一般乗降客にくらべて幾分ゆっくりと上って行くことには気付いたのである。そのために僕は、その若い婦人の脛をほんの浅く窺ったに過ぎなかった。友江田先生の顔色も窺ったが、気にはなりながらもそちらへ費す時間はなかった。その翌日も又次の日も僕の身体の中には、「彼奴」が生長して行った。斯くて予定の七日間が過ぎてしまったあとには、僕の身体には飢えた「彼奴」が跳梁することが感ぜられ、それとともに、あの若き婦人の肢体が網膜の奥に灼きつけられたようにいつまでも消えなかった。