彼と僕とはかつて同じような理由で陸軍の幼年学校を退学させられた仲間だった。彼は仙台の幼年校、僕は名古屋の幼年校ではあったが、もう半年ばかりで卒業という時になって、ほとんど同時に退校を命ぜられた。そして二人ともすぐ東京に出て来て偶然出遇った。彼にはなお一緒に仙台を逐い出された二人の仲間があった。その一人は小学校以来の僕の幼な友達だった。かくして四人の幼年校落武者が落ち合った。そしてそこへまた大阪や東京の落武者が寄り集まって、八、九人の仲間ができた。みんなは退校処分という恥辱を雪ぐために、互いに助け合ってうんと勉強する誓いを立てた。みんなはすぐにあちこちの中学校の五年へはいった。が、彼ともう一人の仲間とが中途で誓いを破って遊びを始めた。みんなは憤慨して数回忠告した。そしてついに絶交を宣告した。翌年他の仲間のみんなはそれぞれ専門学校の入学試験に通過した。しかしその二人だけはどこでどうしているのか分らなかった。みんなは絶交を悔いていた。
ちょうどそれから四、五年目になるのだ。僕の入獄は彼から見れば「いよいよ本物になったのだ」ろうが、彼自身の入獄は当時の絶交と思い合して「実に面目次第も」なかったことに違いない。しかし僕としては、僕等が彼に申渡したその絶交が、今になってなおさらに悔いられるのであった。